「心の成長」と「文章読解力」の関係

「“心の成長”と“文章読解力”との間に、本当に関係があるの?」と思われる方も多いと思います。塾の生徒たちと関わる時に、常に「心の成長の方は大丈夫かな?」と目配りする習慣のある私も、顕著な例を体験した時には「ここまで関係があるのだ・・・」と驚きました。

 

ある高校生が、年齢からは考えられない「幼い行動」を取りました。「社会生活を送る上での常識の範囲」が分かっていれば、とてもできないことでした。驚いた私が、「こんなこと小学校5年生でも当たり前に分かっていますよ」と言ってみましたが、黙って首を傾げているばかりでした。

 

少し経ってから、ほぼ同じエピソードが繰り返されました。「心の成長という点で、何かが抜け落ちてしまっているのだろうか」と心配になり、言動を注意深く見ていると、残念ながら「4~5歳の頃から上の世代が少しずつ教えなければならない『他者への配慮』を、ほとんど教えてもらってこなかったようだ」と、判断せざるを得ませんでした。口数が少なかったために、”内面の幼さ”がエピソードの形を取って、私の目の前で起こるまでに、時間がかかったのです。

 

この生徒は、この2つのエピソードが起こる少し前に、400~500語くらいの長文ならば、少しの手助けと一定の時間をかければ普通に読めるのに、大学受験に必要になる「もっと長い長文を速い速度で読んで問題を解く」という問題では、「速く読むと内容をほとんど覚えていられない」という発言をして、私を驚かせていました。速く読んだことで部分的に読み落としてしまう場合もありますが、「内容をほとんど全部覚えていられない」と言った生徒は初めてでしたので「原因は何なのだろう?」と考え込んでしまいました。

 

しばらく考えていて思い当たることがありました。4~5歳の頃から何年もかけて学ぶ「他者への配慮」が、きちんと獲得できるためには、「他者に対する想像力」が必要になります。「自分が○○のように行動したら、相手をどんな気持ちにさせるだろうか」、つまり「自分がされる側だったら、どんな気持ちになるだろう」と考えてみることです。その結果、相手に配慮した行動を取ることができます。こうした作業を繰り返すことで、「社会の中で生きてゆく上で重要な回路」が、脳の中にできます。この生徒は、10代半ばを過ぎるまで、ほとんど他者への配慮ができない状態で生きていたのですから、「他者への想像力を働かせる→相手に配慮した行動を取る」という過程を経験したことがなく、「脳に中にこの回路を持っていない状態」と推察できます。

 

長文を一定の速度で読みながら内容を把握して脳内に一時的に留めておくためには「ある種の想像力」が使われます。この「想像力」は、「“他者への配慮ができるために使う想像力”と、かなり重なった部分を持つもの」なのでしょう。当該の生徒が「速く読むと長文の内容がほとんど覚えていられない」という経験をしたのは、おそらく、そこに原因があったのでしょう。「“勉強”という作業で結果を出すためには、“心の成長”という土台を作っておくことが肝要である」と、改めて認識しました。