自己防衛の鎧を着て長く生きてしまうと (その1)

「自己防衛の鎧を着た状態で生きてしまうと、内面的な成長が妨げられてしまう」という意味のことを時折書いてきましたが、そのような人たちが、内面的にはほとんど成長しないまま「子ども状態」で生きていても、持っている「社会的資格」や「社会的地位」に守られたり、「積んできた社会経験」に助けられたりして、「まるで内面的に成長できているおとな」であるかように見える場合があります。

 

ある人が、内面的に成長を止めた状態で生きていても、周囲が「社会的資格や社会的地位を持った人には、それなりの人格が伴っている」と考えがちですし、加えて、本人が「社会経験の積み上げ」によって獲得した「○○の時は××のように振る舞うべき」という形式に則って自分を取り繕っていると、それなりに社会生活が送れてしまうからです。

 

ここ10年ぐらいの間に、それなりに(或いは、かなりの活躍をして)社会生活を送った後に、人生の終盤で「自分の内面的未成熟」と向き合わなければならなくなった人たちに次々と出会い、「やはり、内面的成長を止めたままの生き方は、本人の社会生活を本当の意味では支えていない。人は、「社会的な『お飾り』」を追い求めることには相当のエネルギーを注ぐけれど、それを支えている肝心の『内面的成長』にほとんど関心を持たないのは、何故なのだろう?」と、その度に苦い思いを味わいました。ですが、実際には、なかなか世の中の現状は変わりそうもありません。