「自分と向き合うこと」ができない人たち(1)

拙著「14歳の危機」の中で、「自分と向き合うこと」の大切さを書きました。しかし、残念ながら、人との関わりの中で「この人は、どうしても“自分と向き合うこと”ができないのだなあ」と判断するしかない場合があります。

例を挙げます。1つ目の例は、「謝ることができない人たち」です。この人たちは、自分が間違ってしまったと気づいても、謝ろうとしません。この人たちに出会った場合に、彼らの様子を見ていますと、「“謝ったら自分の存在が危うくなる”と無意識で感じてしまっているのかなあ」と思える場合、「“謝ったら負けだ”と考えているのか」と思える場合、「“自分はどんな時でも間違うような人間ではない”と目の前の現実を否定しているのかな」と思える場合などがあります。いずれにしても、「謝らない」という姿勢は“強固” で、周囲を驚かせます。「ご迷惑をおかけしました」「嫌な思いをさせました」という言葉まで発しているのに、その次に続くべき「申し訳ありませんでした」「済みませんでした」は、頑として口にしないという形で、「謝れない人であること」を表す人もいます。

彼らが「謝ることができない」原因としては、「間違ってしまった自分を、そのまま認めることはしたくない」という心の状態が根底にあるでしょう。謝るべき時にサッと謝ることのできる人たちは「⯀えっ、どうして?認めたくないと言ってみても・・・間違ってしまった事実を消しゴムで消すことはできないし・・・。謝るべき相手に謝ってから、必要ならば、その相手との関係を修復する努力をして・・・今後、どうしたら同じ間違いをしないで済むかを考えるしかないですよね」と言いたくなると思いますが、彼らは、「認めたくない」という思いを抱えて立ち止まってしまい、「謝れる人」ならば当たり前にできる「間違ったことで見えたことを活かして成長してゆく」という道を取ることができないのです。

成長に向かわない場合、ずっと後になって、そのツケが当人に回ってくるかもしれませんが、それは、だいぶ先の話になります。ですが、適切な形で謝ってさえいれば何の問題にもならなかったであろうことが、「謝ろうとしない」という行動を取ったことによって、かなり大きな問題に発展してしまうこともあります。つまり、当人は自分の都合だけに目が向いているので、まったく気づかないのですが、「謝らない」という行為が、周囲の人間を非常に疲れさせてしまうのです。さらに、「謝らない人」が親であれば、彼らの取る一連の行動は子どもたちにとって「望ましくないモデル」となってしまい、「次の世代が同じ生き方をしてしまう」という悪影響を残してしまいます。